プロップファームの「信頼の崖」MFF事件後、CCOが問われる「恣意性」の証明
MFF事件の本質は、規制当局との訴訟の勝敗ではありません。真のリスクは、トレーダーコミュニティから「恣意的な介入」を疑われ、信頼を失うことです 1。本記事では、プロップファームが直面するこの新たなコンプライアンス課題を分析し、CCOが「公正性」を積極的に証明するために必要な「技術的証跡と人間の最終判断」 1 という枠組みを提案します。
1. MFF事件の逆説的教訓:「法廷の勝利」と「市場の敗北」
1.1. 2025年5月・訴訟棄却の法的な意味
2025年5月、米商品先物取引委員会(CFTC)がプロップトレーディングファームMy Forex Funds(MFF)に対して起こした訴訟は、米国連邦裁判所によって棄却された 2。これは一見、MFF側、ひいてはプロップファーム業界の勝利に見えるかもしれない。
しかし、この法的な判断は、MFFのビジネスモデルの合法性や倫理性を認めたものでは断じてない。訴訟棄却の決定的な理由は、MFFの潔白が証明されたからではなく、ひとえにCFTC側の「深刻な手続き上の不備」と「悪意ある不実表示」が裁判所によって認定されたためである 5。
特別補佐官(Special Master)の調査によれば、CFTCはオンタリオ証券委員会(OSC)からMFFによる送金が正当な納税支払いであることを確認するメールという、決定的な無罪証拠を入手していたにもかかわらず、これを6ヶ月以上にわたって意図的に隠蔽し、裁判所に対して不実の表明を続けていた 4。この規制当局による稀に見る「悪意(bad faith)」 5 が、訴訟自体の棄却という異例の事態を招いたのである。
1.2. 棄却されたが、消えない「疑惑のロードマップ」
法的手続きは停止したが、CFTCが2023年8月に当初提出した訴状 2 が業界に与えたダメージは、何ら解消されていない。むしろ、この訴状は、今やトレーダーコミュニティと競合他社、そして(今回失敗したとはいえ)他の規制当局にとって、プロップファームのビジネスモデルの脆弱性を突く「疑惑のロードマップ」として機能し続けている。
訴状で指摘された中核的な疑惑—すなわち、多くのトレーダーが実際にはリアルマネーではなくデモ環境で取引させられていた疑い 2、ファーム自身が顧客と利益相反するカウンターパーティとして機能していた疑い 2、そして成功したトレーダーの利益を阻害するために「人為的なスリッページ」や「隠れ手数料」といった恣意的な介入が行われた疑い 2—は、法廷で審理されなかったがゆえに、疑惑として公の場に残り続けている。
MFF事件の最大の「成果」は、CFTCの法執行の失敗にあるのではない。それまで不透明であったプロップファームの内部オペレーション 8 を公の議論の場に引きずり出し、「ファームはトレーダーの損失によって利益を得ているのではないか?」 8 という業界への根本的な不信感 9 を、コミュニティ全体の共通認識に変えてしまった点にある。
1.3. CCOが直面する「信頼の崖」
この結果、プロップファーム業界全体が、深刻な「信頼の崖(Trust Cliff)」 1 に直面している。
将来的な規制強化のリスク 10 もさることながら、現在の最大の経営リスクは、顧客であり、ファームの評判の担い手であるトレーダーコミュニティからの信頼失墜である。
MFF事件以後、トレーダーがファームの規約(例えば、最大ドローダウン、禁止されている取引戦略、ロットサイズ制限など 12)に違反して失格となった場合、たとえその失格処理が規約上100%正当なものであったとしても、トレーダー側からはMFF型の「恣意的な介入」や「不当な操作」として疑いの目で見られるようになった 9。
2. CCO(最高コンプライアンス責任者)の新たな立証責任:「恣意性」の積極的証明
2.1. 「公正な失格」を証明する重い責務
この「信頼の崖」の最前線、すなわちトレーダーからの厳しい視線と経営陣からのリスク管理要求の板挟みになるのが、CCO(最高コンプライアンス責任者)である。
MFF事件以前のCCOの主な責務は、社内規約(ドローダウン制限、禁止EAの使用、コピー取引の禁止など 13)をトレーダーに遵守させることであった。しかし、MFF事件後のCCOの新たな責務は、そのルール執行プロセスが「恣意的ではなかった」こと、すなわち「公正であった」ことを、疑いを持つトレーダーや潜在的な規制当局に対して、積極的に証明することへと移行した。
プロップファームの「チャレンジ」の本質は、利益追求能力のテストである以上に、厳格なルール下での「リスク規律」を試すものである 15。この規律違反を判定し、失格を宣告するプロセスこそが、今やファームの信頼性を左右する最大のコンプライアンス・リスクとなっている。
2.2. 高まるCCO個人の責任(Personal Liability)
この立証責任は、単なる法務リスクやレピュテーション・リスクにとどまらない。それはCCO個人のキャリアを直接脅かす「個人責任(Personal Liability)」のリスクである。
近年、SEC(米証券取引委員会)やCFTCといった金融規制当局は、企業のコンプライアンス・プログラムの不備や失敗に対し、CCO個人の責任を追及する傾向を顕著に強めている 16。
BinanceのCCOがAML(アンチ・マネー・ローンダリング)規制回避を積極的に指示したとして巨額の罰金を科された事例 16 は、意図的な不正行為のケースである。しかし、よりCCOにとって深刻なのは、SECによる他の執行事例 17 である。そこでは、CCOが「適切な年次レビューを実施したことを実証できなかった」、あるいは「SECの審査中に、以前に作成されていなかったフォームを作成・修正した」といった、悪意のない「不作為」や「証跡の不備」によっても、個人が処罰されている。
2.3. CCOが陥る「証跡のジレンマ」
CCOは、トレーダーからの「不当な失格だ」というクレーム 9 と、規制当局からの「公正なプロセスであったという証跡を示せ」という監査要求 17 との板挟みになっている。
この時、CCOが依存する従来の監視システム(例えば、ルールベースの違反検知ツール 1)は、この新たな立証責任を果たすには決定的に不十分である。なぜなら、それらのシステムは「違反の事実(Log)」を記録することはできても、「なぜそれが恣意的な介入や操作ではないのか(Proof of Fairness)」を客観的に説明し、証明するようには設計されていないからである。
SECの執行事例 17 でCCOが「後から証拠を作成する」という致命的な過ちに手を染めた背景には、まさにこの「証跡のジレンマ」が存在する。すなわち、コンプライアンス・プロセスは実行していたはずだが、それを「改竄不可能な形で」「客観的に」証明する技術的手段を欠いていたのである。
3. 提案:「技術的証跡」と「人間の最終判断」という枠組み
3.1. 「恣意性」を排除する唯一の解
CCOがこのジレンマを解決し、「恣意性」の疑いを晴らす道は、技術的なプロセスを隠蔽することでも、CCOの裁量を強化することでもない。
それは、「恣意性」を排除するために設計された「技術的証跡(Technical Evidence)」と、説明責任を果たすための「人間の最終判断(Human Final Judgment)」を、厳格に分離・連携させるコンプライアンス・フレームワークを導入することである 1。
この枠組みにおいて、CCOの役割は「裁量で判断する者」から、「技術が提示した客観的証跡を承認し、その承認行為自体を監査証跡として記録する者」へと変貌する。
3.2. 「技術的証跡」に求められる3つの法的・技術的要件
CCOがその判断の根拠として依存する「技術的証跡」は、単なるオペレーション・ログであってはならない。それは法廷での証拠能力(Admissibility)と規制当局の厳格な監査に耐えうる、以下の3つの要件を満たす必要がある。
- 法的証拠能力(基盤): その証跡が「いつ」作成され、「誰にも」改竄されていないことを法的に証明できる「不可改竄性」。
- 検知の高度性(矛): 表面的なルール違反だけでなく、隠れた不正(例:巧妙なコピー取引)も検知できる「客観性」。
- 説明可能性(盾): 「なぜ」検知したのかを人間(CCO、規制当局、トレーダー)が理解できる形で説明できる「透明性」。
4. 要件(1):法的証拠能力を持つ「不可改竄SRE基盤」の構築
4.1. SEC Rule 17a-4(f)(2023年改正):「監査証跡代替」という福音
プロップファームが(特に米国市場で)活動する上で、ブローカーディーラーに準ずる電子記録の保持要件は、SEC Rule 17a-4(f)が事実上のグローバルスタンダードとなる 18。
従来、このルールは「WORM(Write Once, Read Many)」、すなわち一度書き込んだら物理的または論理的に変更・消去が不可能な媒体での保存を厳格に要求してきた 21。これは、現代の柔軟なクラウドアーキテクチャにはそぐわない、硬直的な要件であった。
しかし、2022年に採択され、2023年5月3日にコンプライアンス期限を迎えた歴史的な改正 22 により、WORMの代替として「監査証跡(Audit Trail)代替」アプローチが正式に認められた 21。
この改正は、現代的なRegTechソリューションにとって最大の追い風である。CCOはもはや物理的なWORMに縛られず、クラウドネイティブなシステムを利用できるようになった 18。ただしその厳格な条件として、そのシステムが「記録の作成、変更、削除のすべて」を「タイムスタンプ付きで追跡する完全な監査証跡」を保持し 21、元の記録をいつでも再作成できることが要求される。
これは、17で問題となった「CCOによる証拠の改竄」を技術的に不可能(改竄すれば、その改竄ログ自体が改竄不可能な証跡として残る)にするものであり、CCOを「証跡のジレンマ」から解放する法的根拠となる 1。
4.2. IETF RFC3161:「時点存在証明」による時間的不可改竄性
SEC 17a-4が「記録の完全性(Integrity)」を求めるのに対し、法廷での証拠能力は「その記録がいつ存在したか(Time)」を問う。
IETF RFC3161 26 は、この「時点存在証明(Trusted Timestamping)」のための国際標準である。これは、信頼できる第三者機関(TSA: Time Stamping Authority)が、データ(またはそのハッシュ値)に対して暗号化された時刻証印を付与するプロセスを定義している 27。
これにより、データの所有者であるプロップファーム自身ですら、タイムスタンプを後から変更したり、バックデートしたりすることが暗号学的に不可能になる 28。トレーダーが「違反したのは今ではない」あるいは「後から証拠を捏造された」と主張した際、CCOは「この違反記録は、信頼される第三者TSAによってYYYY年MM月DD日HH時MM分SS秒に存在が証明されている」と、客観的かつ法的に反論できる。これは、MFF事件後の「恣意性」の疑いを晴らす上で不可欠な法的防御である 1。
4.3. SOC 2:「アクセス監査」による人的不可改竄性
記録自体が改竄不可能(SEC 17a-4)で、時刻も改竄不可能(RFC3161)であっても、最後に残る疑念は「誰がその記録にアクセスしたのか?」である。
SOC 2(Systems and Organization Controls 2)は、AICPA(米国公認会計士協会)が定めた、サービス組織のセキュリティ、可用性、処理のインテグリティ等に関する内部統制の監査基準である 29。
CCOにとってのSOC 2準拠の価値は、「誰が、いつ、どの証跡データ(トレーダーの違反記録やCCOの承認ログ)にアクセスし、何を見たか」のすべてが、独立監査人によって検証されたプロセス 32 で厳格に記録されることにある 1。これにより、CCOは「私(あるいは他の従業員)が、定められた承認プロセス外でこのデータに不当にアクセス・閲覧・変更していない」こと、すなわち人的プロセスの公正性を証明できる。
【表1】CCOのための規制コンプライアンス・クロスウォーク
1
| 規制要件 | 法的・技術的課題 | 不可改竄SRE基盤による対応機能 (AI MQL SOW準拠 ) |
| SEC 17a-4(f) (US) | 電子記録の原本性・再現性 (WORMの代替) | 監査証跡代替 (Audit Trail Alternative) 21。全ての変更・削除を記録し、原本の再現性を担保。 |
| FINRA (US) | 記録保持期間 (CAT関連等) [22] | パラメトリック保持期間 1。規制要件(例:3年、6年)に応じた可変設定。 |
| MiFID II (EU) | 耐久媒体・保持期間 (例: 7年) | 監査証跡代替 (耐久媒体要件を満たす) + パラメトリック保持期間 1。 |
| 法務一般 (グローバル) | 証跡の「時点存在証明」 | IETF RFC3161準拠のTSAタイムスタンプ [26, 27] の付与。バックデートの不可能性を証明。 |
| SOC 2 (監査) | 証跡データへのアクセス監査 32 | SOC 2準拠のアクセス監査ログ 1。「誰が」「いつ」「何を見たか」の完全追跡。 |
| GDPR / ePrivacy (EU/UK) | デバイス指紋等の個人データ取得 | 明確な同意UI (法的同意テンプレート) 1。データ取得目的(不正検知)の明示と同意取得。 |
5. 要件(2)(3):「GenAI因果指紋(矛)」と「XAI調査ブリーフィング(盾)」
5.1. 「矛」:ルールベースを超える「GenAI因果指紋分析」
強固な法的基盤(SRE)の上で、次に問われるのは「何を」検知するかである。
従来の競合他社が提供するような「ルールベース」の検知(例:News Gap Trading, HFT 1)は、もはやコモディティ化しており、トレーダーからの「恣意的なルール適用だ」という反論に対して脆弱である。
真に「恣意性」を排除した検知とは、表面的なルールではなく「行動パターン」に基づく客観的証拠である。本稿で提案するフレームワークにおける「GenAI因果指紋分析(Causal Fingerprint Analysis)」 1 は、個々の取引がルールに違反したか否かではなく、「そのトレーダーの行動パターンが、隠れたコピー取引グループや特定のEA(自動売買)の“指紋”と統計的に因果関係を持つか」を分析する 1。
5.2. 「誤失格」の回避:AIの「恣意性」を排除する反事実検証
ただし、AIを導入するだけでは、「人間の恣意性」が「AIの恣意性(ブラックボックス)」に置き換わるだけである。CCOが規制当局やトレーダーに対して説明責任を果たすためには、「AIの判断が恣意的ではない」ことの積極的な証明が不可欠となる。
この「AIの恣意性」を排除するため、高度な検知ロジックには「反事実検証(Counterfactual Validation)」が標準搭載されるべきである 1。
これは、AIが検知した相関(例:A氏とB氏の取引が似ている)に対し、「分析する時間窓(Window Size)をずらしても相関が維持されるか」「意図的に時間差(Lead-Lag)を加えてみたら相関が崩れるか」といったストレステストを自動実行するプロセスである 1。
その結果、CCOが受け取るレポートは「相関を検知した」という曖昧なものではなく、「反事実検証によっても相関が崩れず、偶然の一致である可能性は統計的に棄却された」という、はるかに強力な(=恣意性を排除した)証跡となる 1。
5.3. 「盾」:XAIと「人間の最終判断」の連携
この高度な検知(矛)に対し、CCOが説明責任を果たすためのツールが「盾(XAI Shield)」 1 である。これは、AIによる検知結果を、人間が理解できる形で提示する「LLM支援による調査ブリーフィング」として機能する 1。
これにより、本稿が提案するコンプライアンス・フレームワークが完成する。
- AIの役割(矛): 「GenAI因果指紋」が異常な行動パターンを検知する 1。
- AIの役割(盾): 「LLM」が関連データ(反事実検証の結果を含む)を収集・分析し、「調査ブリーフィング(草案)」を自然言語でCCOに提示する 1。
- 人間の役割(CCO): CCOは、AIが作成した「補助的見解(Auxiliary View)」と、収集された生データをレビューする 1。
- 人間の役割(CCO): CCOが最終的なコンプライアンス判断(=失格/警告/無罪放免)を下し、システム上で「承認(署名)」する 1。
- 基盤の役割(SRE): この「CCOによる承認(署名)」という行為そのものが、「不可改竄SRE基盤」(SEC 17a-4, RFC3161, SOC 2準拠)によって、変更不可能な「最終証跡」として記録される 1。
6. 結論:CCOは「技術」を統治し、信頼を再構築する
MFF事件が白日の下に晒したプロップファーム業界の「信頼の崖」 1 は、訴訟の棄却 2 によって何ら解決していない。むしろ、法廷での決着がつかなかったことにより、トレーダーの疑念 9 と規制当局の監視 7 は、かつてなく高まっている。
この新たな市場環境下で、CCOに課せられた「恣意性の証明」という重い立証責任 16 は、従来のルールベース・システムや、証跡を残せない手作業のプロセスでは、もはや果たし得ない。
CCOが「恣意的な介入」の疑いを晴らし、トレーダーコミュニティと規制当局双方からの信頼を再構築する唯一の道は、技術を隠蔽することではなく、技術を統治することである。
それは、本稿で提案した「技術的証跡」(法的証拠能力、高度な検知、説明可能性を持つ証跡)と、「人間の最終判断」(CCO自身が実行し、その行為自体が監査証跡となる承認プロセス) 1 という厳格な枠組みを導入し、説明責任と透明性を積極的に担保することによってのみ達成されるのである。
引用
- AI MQL
- My Forex Funds Lawsuit: Warning to the Proprietary Trading Sector – Barnea, 2025年11月参照 https://barlaw.co.il/my-forex-funds-lawsuit-warning-to-the-proprietary-trading-sector/
- MyForexFunds secures dismissal of CFTC case after judge finds misleading statements, 2025年11月参照 https://liquidityfinder.com/news/myforexfunds-secures-dismissal-of-cftc-case-after-judge-finds-misleading-statements-76fa6
- Quinn Emanuel Wins Dismissal of CFTC Case, 2025年11月参照 https://www.quinnemanuel.com/the-firm/our-notable-victories/quinn-emanuel-wins-dismissal-of-cftc-case/
- CFTC Faces Sanctions After Missteps in My Forex Funds Lawsuit – Riddle Compliance, 2025年11月参照 https://riddlecompliance.com/cftc-faces-sanctions-after-missteps-in-my-forex-funds-lawsuit/
- CFTC v. My Forex Funds Case Dismissed | Compliance Lessons for Prop Trading Firms, 2025年11月参照 https://www.desilvalawoffices.com/articles/blog/2025/may/cftc-case-dismissed-my-forex-funds-controversy-h/
- MFF Shutdown! What’s Next And Why CTI Is Different? – City Traders Imperium, 2025年11月参照 https://citytradersimperium.com/mff-shutdown-why-cti-is-different/
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- SOC 2 Compliance: the Basics and a 4-Step Compliance Checklist – Check Point Software, 2025年11月参照 https://www.checkpoint.com/cyber-hub/cyber-security/what-is-soc-2-compliance/